インド・グルガオン(Gurgaon)での結婚式

インド・グルガオン(Gurgaon)での結婚式
デリーの南、高速道路で小一時間の所に新興都市グルガオンがあります。
そこは米国シリコン・バレーかと見まごうばかりの真新しいビル群と、これからの地価の値上がりを待っているらしい農地とが奇妙に混在している典型的な新興都市です。


そこで米国シリコンバレーで旧知のDr. Raj & Beth Bhatnagarやその友人たちと合流しました。
ラッキーなことにRajの姪の結婚式が丁度執り行われる事になっており、同行していた日本からの友人夫妻共々招待を受けていました。 話に時々聞いてはいたもののインドでの結婚式に実際に参加できるチャンスなどめったにないので一同にとって嬉しい招待でした。


"インドでは赤痢は法定伝染病ではない。インド人と握手するとそれが移るぞ。"と日本でまことしやかに、散々脅かされて来たらしく、日本の友人夫妻は何と重い水のペット・ボトルをしこたま日本からトランクに運んできたそうです。
しかし着いてみれば、泊まったホテルにはちゃんとボトルが完備しているのが実情でした。
それでも生水と生野菜・果物には絶対手を出さなかった我々は、全員無事に健康体で成田空港へ帰ることが出来ました。


さてインドの結婚式ですが、結納などの儀式を含めると優に1週間かかると言うことでしたが、我々は旅程の関係から結婚式前日の1日に現地到着でしたから2日の結婚式だけに出席しました。
一般的にインドの結婚式は古い伝統のある暦に基づいて、日程が曜日に関係なく決められるそうで、通常夜に始まると言うことです。 
11月後半から1月ごろまでは,乾季で気候が温暖なことと暦が良いと言うことで、式当日の2日はデリー周辺だけでも約1000組の結婚式が執り行われたそうです。
 

バトナガー家の結婚式は夜8時から始まり、最後の本格的な儀式というのはは翌朝の3時と聞いてましたので、2日は遅い朝食の後、日中はRajとBethの案内でお寺などの観光で過ごし、7時半ごろ式場に行きました。


式場と言っても1000坪ほどもある野外の芝生の式場で、いたるところ光のページェントといったところで目も眩むばかり・・・広い式場の案内までも美しい花で作られた矢の印でした。
木々には我々がクリスマスで使うようなイルミネーションで飾られ、道は色とりどりの花で綺麗にふち取られていました。1000坪全体がこの様な華やかさですから、その規模といい豪華さといい圧倒されてしまいました。
Rajに言わせれば、"ミタル・スチールの娘の結婚式の時は、ベルサイユ宮殿を1週間借り切ったのだから、こんなのはたいしたことではない。"と謙遜して話すので又また驚きでした。


さて500人くらいの参加者がいると聞いておりましたが、我々が8時前に着いた時は未だ佳境に入る時間では無いせいかさほど人はいなく、閑散としておりました。
ここで初めて判ったことはインド時間は大体プラス・マイナス1時間というアバウトさで、8時始まりといえば9時ごろの始まりと考えておいたほうが良いということでした。 そのとおり9時ごろになると大分参列者が集まってきました。


程なく人々が入り口の前にゾロゾロト移動して行くので、我々も行ってみると、500メートル程前方になにやら行列らしき物が見えて来ました。
インドでは、映画"モンスーン・ウエディング"を見た方はお分かりでしょうが、新婦側が主賓で新郎側を迎えるということで、この行列は新郎側の親族が楽隊や提灯持ちを従えて式場にやってくるものでした。
この行列は親族が50人、楽隊・提灯持ちが各25人で、楽隊の音楽に合わせて新郎の親族が踊りを踊りながら静々と進んでくるので、見えてから式場の入り口に来るまでさらに小一時間ほどかかりました。
なんとアラビアンナイトの世界さながら、新郎は白馬に乗って登場です。
入り口でこれを花嫁の父親及びバトナガー家の親族が迎えます。・・・・ が、この段階では未だ花嫁の姿は見えません。


この入り口から30分程かかって、花婿及び親族一行、我々を含むその他大勢は、光で豪華に飾られたメイン・ステージに到着しました。この時点でようやく花嫁が、姉に手を取られて脇から静々と登場し、顔合わせ、抱擁、指輪の交換となります。


ここらへんの時点で早11時、その夜は珍しく寒くインドのイメージから薄着の我々一行は毛布に包まりたいほどでした。
飲み物は日本人の感覚からすれば甘すぎる紅茶中心なので、我々としては早く食事になって欲しいと願うばかりになっておりました。
日本の結婚式の習慣とは大分違い、ヒンズー教の儀式が進む中、参加者が結婚の贈り物を三々五々ステージの花嫁・花婿に送ることになり、又ここで約1時間経過。
我々もステージに上がってお祝いを述べ日本より持参したお祝いを渡しました。


我々は見物しながら各親族の方々を紹介されました。 どちらの家族もインテリらしく、中には流暢な日本語を話す元在日インド大使館勤務の外交官やムンバイからの映画プロデューサー等、品のあるしかも仕事もバラエティーにとんだ方がたが多くいました。


日本のような参加者を前にしてのスピーチは全くありませんでした。
夜中12時頃になってやっと我々期待のブッフェ形式の食事となりました。
この頃になると、我々は普通の背広姿や薄着のドレスでしたので、寒さに体もガタガタ震えるほどでした。

ですから食事では甘い紅茶でなく、インドのお酒を飲んでやっと体が温まると期待していましたが、これは見事に裏切られました。 
なんとヒンズー教の結婚式は、酒・肉無し、全てベジタリアンの食事であることが初めて判明したという訳です。 それでも温かく大変バラエティー豊かな美味しい カレーとパンで何とか一息つきました。どのカレーもさすがに美味で本場を思わせました。 

午前3時頃に行われるこの結婚式の最後の儀式と言うのは、火の周りを7回廻って、永遠の結びつきを誓うということでした。 我々はこの儀式まで見たかったのですが、多くの客と同様、食事後に寒さに震えながら、三々五々退散するということにしました。。


新郎新婦は共に留学時代よりロンドンに在住で、新郎はインベストメント・バンカー、新婦は都市計画家として活躍しているそうです。既に住む家を買ってあるということでしたが、結婚式のような重要な行事は、インドに帰って伝統にのっとって行うのが普通だということです。


インドの新聞などでは、NRI(Non Residential Indian)という単語をしばしば見かけましたが、インドの少なくとも上・中流の層では、我々が考えている以上にボーダーレス化が進んでいるように見受けられました。
一方インド国内では日曜日ともなると新聞に花嫁、花婿募集の記事がカースト別、あるいはNRIとして沢山掲載されるのが興味深いものでした。